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ZR’s Log

Twitterで書くには長過ぎる話を置いておく場所。TrySailからクウガやゲームまで、思いついた事をメモのように書き連ねていきます。

万由里

デート・ア・ライブ

万由里ジャッジメント

 今日は8月22日。「劇場版 デート・ア・ライブ 万由里ジャッジメント」公開から1周年である。万由里が生まれ、そして消えた日でもある。

 万由里とは、映画にのみ登場するヒロイン。霊力の塊であり、人間とも精霊とも違った存在。映画を見て、デート・ア・ライブのゲームである凜祢ユートピアに登場したヒロイン凜祢を思い浮かべた人も多いのではないだろうか。実際、私もそうだった。というか、映画を見て思ったのが「これ、アニメ版凜祢ユートピアだ」だった。原作から登場する6人のヒロインとデートして、作品オリジナルのヒロインの天使と戦い、最後、ヒロインは自ら主人公である士道君に封印されることを選ぶ。

 しかし、繰り返し見ていくうちに(入場者特典のこともあって6回観た)、凜祢と決定的に違うことに気付く。目的である。凜祢が士道君を守ろうとしたのに対し、万由里は霊力の器に相応しいか判定しようとした。凜祢が士道君を守る為の存在であるのに対し、万由里は霊力を守る為の存在なのだ。本来、士道君への想いは持っていなかった。

 万由里は霊力の塊だが、その霊力の源はどこなのかというと、士道君に封印された精霊たちである。霊力のほとんどは士道君が保有しているので、実質士道君ということになる。そんな霊力には、精霊達の想いが籠っていた。想いの籠った霊力のみで構成されてしまった万由里は、想いまでも自分の一部とした。これが終盤のある台詞を、万由里にしか言えない、と言わしめるのだが。

 

 折角なので、万由里ジャッジメント発表当時(DATE A Fes II)の頃の話を。特報PVが上映され、公開時期と、万由里のシルエットがお披露目された。女性キャスト陣の「また女増やした」的なコメントが印象深い。この時点での声優公開はなし。その後、がや録りを実施。会場のお客さんの声を録音して実際に作品に使うのだそう。録音したシーンはライブシーン。美九、と叫んだりするのだが、「誰のライブシーンかは分からない」とは音響監督えびな氏の弁。

 実際に劇場に見に行って、冒頭の美九のライブシーンで本当に使われていて感動した。ついに私も劇場デビューである。美九のライブでは新曲Go☆サマーガールを歌ったのだが、CD化された際、キャラソンアルバムに劇場版Ver.が収録された。なんと、がや入りなのである。しかも劇場版より増されている。こうして、私はCDデビューも果たしたのだった。

 Fes IIでストーリーについて公開されるまで、どんな話になるだろうと想像していた。まず、劇場版がどのような位置づけなのか、というところから考える必要がある。ファンが見たいものを作る、新規も取り込めるものを作る。その両方を満たすものとして、原作8,9巻の七罪編を劇場版にするのでは、と思っていた。2期の続きということでファンは満足し、全キャラとのデートシーンがあるので新規にも各キャラクターの説明がしやすい。唯一の問題は、10,11巻の折紙編に繋がっていることくらい。それに、ゲーム版で新規キャラクターが最終的にどうなるかを見せられているので、劇場版でまでそれを味わうのは嫌だった、というのもある。結果的に、新キャラを出しつつほぼ全ての精霊とデートするストーリーになり、最後にはバトルという構成になった。

 

 劇中での万由里の出番は少ない。喋るシーンはもっと少ない。霊力の器が相応しいか判断する存在の為、基本的に士道君を観察するだけ。まともに喋るのは6人目のデートの最後という、見ている側にとってはなんとも掴みにくいキャラだった。しかしその後のシーンで一変する。万由里は必要も無いのに士道君の前に姿を現し、彼と会話する。この時点では自分の想いに気付いていないのだが、その想いに突き動かされていることは間違いない。そして、これを発端として天使 雷霆聖堂<ケルビエル>は暴走する。

 余談だが、この雷霆聖堂という字を選んだことに、ある影響を感じて仕方が無い。蒼き雷霆…

 暴走したケルビエルによって籠に捕らえられた万由里は暴走の原因を探るとき、6人の精霊のことだけをまず考えた。当然と言えば当然なのだが。暴走の原因は万由里自身だった。これはどういうことなのかと考えてみると、万由里が6人の霊力の塊であるからなのではないだろうか。万由里もまた6人の精霊の一部なのだから、万由里に使われている分の霊力に籠った想いも落ち着かなければならない。裁定者たる万由里が想いに揺れてしまった。

 万由里は士道君によって助けられ、十香達の力を束ね新たな力を与えた。自らの天使を破壊することを選んだのだ。だがそれだけではケルビエルは止まらない。万由里は、ケルビエルに霊力の供給する自分自身の封印をも決意してしまった。十香の攻撃と万由里と士道君のキスによってケルビエルは消滅する。しかし、同時に万由里もまた消滅を始めた。

 「私は霊力の結晶体。封印を施せば、消えるのは道理。でしょ? 」

という台詞がある。でしょ?と士道君に問いかけるのは、まるで前にもこんなことがあった、とでも言うかのよう。そう、凜祢ユートピアの凜祢がまさにそうだった。彼女もまた霊力の塊で、自ら士道君に封印され、消えた。凜祢の話をすると長くなるので、今回はやめておく。

 「出会ったばかりで封印なんて、できないはず?ふふっ、ばーか。私はみんなの霊力から生まれたんだよ?あんたのこと、嫌いなわけないじゃん。…生まれた時から、愛してた。」

という台詞。これが、冒頭で述べた万由里にしか言えない台詞だ。万由里は、士道君のことが好きな6人の精霊の霊力から生まれた。霊力は精霊を構成するもの。精霊達の想いと共に生まれた万由里は、彼女の言葉通り、生まれたときから士道君を想っていた。しかし酷なのは、そうでありながら、万由里には士道君と精霊のデートの後を追うことしかできなかったことだ。士道君と万由里のデートは実現しなかった。

 「ずっと考えないようにしてたけど、私、みんなが羨ましかったんだ。でもね、私も一つだけ、みんなに自慢できることがあるの。私だけ、士道と同じ、だったんだ。私はもう、消えるだけの存在じゃない。…あんたに、逢えたから。ありがとう、士道。」

それでも、万由里が満足できたのは、士道と同じ、だったから。何が同じだったのかは後にキャラソンにて明らかになる。スタッフロールの後、意味深にとある場所が映った時点で分かったようなものだが。本来誰にも知られず生まれ、誰にも知られず消える存在だった万由里は、器が士道君だったことで単なる霊力の塊から、1人の女性へと変わった。私にはそう思えた。ちなみに、万由里を演じた雨宮天さん曰く、ハッピーエンドなのだという。

 こんな感想は、1回観ただけでは得られなかった。万由里という存在に対して割かれている尺は多くなく、多くを語らないからである。繰り返し、結果6回観たことで、万由里がどういうキャラクターなのかを理解した。1回目は凜祢ユートピアのアニメ版としか思えなかったのだから、随分と変わったものである。

 個人的に、万由里ジャッジメントはバッドエンドに近いと思っている。それは、万由里は士道君に想いを伝えたけど、士道君は何も伝えることができなかったからである。これは凜祢ユートピアも同じだが、記憶に残るか残らないかという違いがある。記憶に残る分、酷なのだ。だから、いつかもう一度万由里に会えるときがあるといいと、当時は願っていた。

 

If We Meet Again

 原作サイトで行われた人気投票でなんと1位を獲得した万由里は、新規SSで再び登場することとなった。それだけではない。Blu-rayのCMでは雨宮天さんによる新規台詞、Blu-ray付属小説 十香ノーティスでは本編の別の可能性を、入場者特典でもあった万由里アラウンドでは士道君とのデートを、Blu-ray購入特典であるちょいデレシチュエーションCD 万由里編でもデートが描かれた。新規SSと合わせて3度のデートが実現したのだ。万由里もやっとデートができた、ととても嬉しかった。それ以上に、万由里が士道君の中で生き続けている(万由里を構成していた霊力は封印されたことで士道君の中にある)のを感じて、良かった、少しは万由里も想いを果たせただろうと、安心した。ただしそのどれもは可能性でしかなく、しかし有り得る可能性なのだ。

 1つ、とある可能性を考えている。そのときは来るかどうか分からない。実現するかもしれない日は来月、そして再来月に控えている。もしも現実になったら、また書くことにする。それとは別に本編への登場も願っているが。

 

 「もう一度あんたに会いたい… なんてね。」