私にとって、アイドルとの出会いは衝撃でした。 でも、その衝撃を自分が超えられないのも、また事実でした。
「ありがとうございました。」
レッスンを終えて、皆が部屋を後にしていく中、彼女は水を飲むとまた立ち位置に戻っていた。
「続けるのか?」
「はい。今日はこのあとフリーですから。」
彼女の、紬のストイックさは眼を見張るものがある。納得できるまで歌とダンスに向き合う。そうして立った舞台は、どれも完成度の高いものだった。きっと自身の中に確固たる理想像があるのだろう。それが、恐ろしくもあるのだが。
「確かにそうだが… 先に休憩したらどうだ?」
紬は呆れた表情をしていた。どうやらまた、のようだ。
「プロデューサー、今の私のレッスン、本当に見てくださっていたのですか?」
「もちろん。Fairytaleの立ち位置も振りの大きさも、13人の狭さをちゃんとわかってできてたよ。」
「この曲とは長い付き合いですから、上手くもなります。問題なのはそれ以外の曲です。特にDIAMOND DAYSは経験が他の皆さんに比べると少ないので、ついていけないのです。」
「でしたら白石さん、私たちと一緒に特訓しましょう。」
話に割って入って来たのは同じユニットの瑞希と志保だった。どうやらこのやりとりが気になってしまったようだった。
「真壁さん、北沢さん、よろしいのですか?」
「もちろんです。私たちは3人でEScapeですから。」
「じゃあ瑞希、志保頼んでいいか?」
「任されました。がんばるぞ。」
深々とお辞儀をする紬の姿に、やはりどこか、気になってしまうことがある。だが今は、同年代に任せた方が良いのかもしれない。
6thライブ、そのトリとなるFairy公演。これまでAngel、Princessの2公演の成功が、彼女たちのプレッシャーなのはわかっている。とはいえ、それを跳ね除けられると思っているからこその順番でもある。 周年ライブに対する期待は大きい。ファンも彼女達自身もそうだ。劇場の定期公演ではできないことができる絶好の舞台なのだから。
今回もかなり趣向をこらしたが、それに対する反応は様々だった。だが1つ共通していたのは、臆さないということ。不安は口にしても、自分にできる最高の舞台にしようとしている。
そうして彼女達は成長してきた。だから今回も大丈夫だと信じられるのだ。
「結構形になってきたわね。」
「はい。クール系美少女ユニット、1年間の活動の集大成ですから。とっておき、見せちゃうぞ。」
「…」
一人もたれかかっていた私に、真壁さんはドリンクを差し出してくれた。でも、私はそれを口にできなかった。
「白石さん、どうかしましたか?」
「まるで、今のパフォーマンスに満足していないって顔だけど…」
「いえ。歌も、ダンスもおそらく今まででいちばんのものをお見せできると思います。」
「なら…」
北沢さんの言葉を遮って言う。2人に伝えるというよりも、自分に言い聞かせるように。
「でも、その先が、私には見えない。うち、どうしたらいいん…?」
無意識に握った手が、ペットボトルを潰してしまっていることに、私は気づかなかった。
「質問です。」
「急にどうしたんですか?」
真壁さんの号令で2度目の休憩に入ってすぐのことでした。神妙な面持ちで私たちを見つめてきたのは。
「2人はどうしてアイドルになろうと思ったのか、気になってしまいまして。」
「どうしてって、その質問こそどうしてって感じですけど…」
「こうやって3人だけの時間を過ごすのは、結成したての頃以来だなと思いまして。そうしたら、北沢さんと白石さんと、またお話がしたくなってしまいました。」
「私も、したいです。」
「じゃあまず、瑞希さんの話を聞かせてください。」
北沢さんの話の運び方は上手い。まだ中学生なのに。
「キラキラしているアイドルに、憧れたんです。それに、プロデューサーは私の中のドキドキを、ワクワクに変えてくれると約束してくれました。そして今とても、ワクワクしています。みんなとどんなことができるのかな?」
「わくわく、ですか。」
「はい。ワクワクです。」
「私は楽しいとか、そういう理由じゃありませんでした。仕事がしたかったんです。」
「なんと。北沢さん、大胆。」
「瑞希さん、からかわないでください。絵本のお姫様に、どこか似ていたというのもあるんですけど。」
「でも、北沢さんは妖精。」
「ふふ、そうですね。」
以前もそうだった。こうして3人で話をする時間は、何か特別なようで好きだった。
「お2人は立派ですね。」
「白石さんはどんな理由なんですか?」
「私は、プロデューサーにスカウトされ、衝動のままにここへ来てしまいました。だから、わからないのです。どこへ向かっていけばいいのか…」
この2人の前だからだろうか。ためらいなく、そんなことを口にした。
「難しい質問だぞ。うむむ…」
「紬さん…」
急にレッスンルームの扉が開いた。そこにいたのは、私をこの世界に誘った張本人だった。
「休憩中か。…ん?どうした?」
「あの、プロデューサーさん…」
これは自分のことだから、北沢さんに言われる前に。
「私は、アイドルなのでしょうか?」
訊いてしまった。いつもの楽観的な言葉が、今は救いになるような気がして。
「アイドル、ってなんなんだ?」
「P、まさか… それもわからずプロデューサーをなさっていたのですか?」
「いや、そういうわけじゃないけど。紬にとって、アイドル、ってどんな存在なんだろうな、と思って。」
「私にとっての、アイドル…」
自分の世界にはなかったもの。外の世界にしかなかったはずのもの。だからこそ焦がれ、今自分はその”外の世界”にいる。そんなぼんやりとしたものだったから、価値観を塗りかえられずにいる。
「それが…」
心が落ちていくのに応じて、頭も垂れていく。
「それがわからないから、こうして訊いているのです!」
嗚呼、やはりこの人に頼ろうとしたのが間違いだった。こんな時に限って、こちらの事情を詮索してくる。本当に、バカだ。
「プロデューサーさん、さっきのはちょっとどうかと思います。」
「え?いや、紬に自分で気づいてもらいたかったんだけど…」
「先ほど、白石さんに言われました。どこへ向かえばいいかわからないと。」
「そんな状態の紬さんにあんなことを言ったら、ああもなります。」
「そうだな。ありがとう、瑞希、志保。後は任せてくれ。」
自分の、できない、に向き合って、できるとまでは言えないけれど、やれるようにはなってきた。でもそれは、自分自身の成長でしかない。直接アイドルとしての自分に投影される訳ではない。それが見てくれる人全員に伝わるわけではないから。だから、伝えらえるようにもっと努力をするのだが、その連鎖の中で気づいてしまった。何を伝えたいのかわからなくなっている自分に。歌?違う、踊り?違う、姿?違う。アイドルに必要な技術を高めれば高めるほど、ゴールは遠ざかる。遠ざかりすぎて、最初のゴールすら見失ってしまった。そうして、道が閉ざされてしまった。私はもしかしたら、ここまでなのかもしれない。
この時期にしては冷たい夜風に、私の体が、心が呼応してしまう。 この暗闇から抜け出せないのではという恐怖に、声にならない叫びをあげた。
「…!」
屋上から声がする。紬だ。階段を駆け上がって屋上の扉を開けると、紬はうずくまっていた。
「紬… 覚えてるか。もう2年も前のことになる。オーディション会場に来たとき、言ってたこと。思い出したって、幼い頃の夢を。」
紬の顔が上がった。きっと蘇ったのだろう、ずっと、抱いていたものが。
「アイドルっていうのは、それなんだ。舞台の上で輝く姿を見せることで、見知らぬ誰かへ夢や希望、憧れを届けられる。紬も、そうだったんだろう?」
プロデューサーの言葉に、ハッと気づく。どうして、忘れていたんだろう。
私はなりたかったのだ、憧れに。幼い頃、自分がアイドルに感じたように、誰かに、夢を与えられる存在に。
だからこそ、ずっと答えは得られないのだろう。形のない、夢だから。
「そうでした。私は、ずっと昔に夢を貰いました。でもいつしか、忘れてしまっていた。それを思い出させてくれたのは、あの時声をかけてくださったプロデューサーでした。なのに私はまた、今に向き合う中で未来を忘れてしまった。でも、もう大丈夫です。」
「ああ、何度忘れたって、何度でも思い出させてやるよ。俺は紬のプロデューサーなんだからな。」
本当に、この人は楽観的だ。でも。
「はい。少し頼りないですが、これからもよろしくお願いします、プロデューサー。」